誘惑 第二部 13 - 16
(13)
「和谷さ、あいつの事、どう思ってるんだ。どうして…どうしてあいつを抱いたんだ。」
「…わかんねぇ…」
「おまえが言うように…前に塔矢がおまえにキスしたみたいに、塔矢がおまえを誘ったのか?」
「そうなのかも知れないし、そうじゃないのかも知れない。わかんねぇ。
……でも、おまえと塔矢のキスシーンなんか見なかったら、あんな事にはならなかったな。
だからオレは…おまえらに煽られただけなのかな。でも…」
ヒカルはふと、アキラの言葉を思い出した。
――あいつを煽ってやったよ。
――そうしたら、ずっと好きだったの、憧れてたの、馬鹿馬鹿しくて聞いてられなかったよ。
本当なんだろうか。本当だとしたら、なんて酷い言い方なんだろう。
「和谷…和谷は、塔矢が好きなのか…?塔矢が好きだったのか?」
「…多分。」
和谷は自分でもアキラに対する気持ちが何だかよくわからなかった。
だから、多分、としか答えられなかった。
「なんだよ、多分って。ヘンな言い方。」
ヒカルは和谷の言葉にくすっと笑った。
「好きなら……しょうがないよな。
好きなヤツにキスされて、二人っきりになって、その気にならない男なんて、いないよな。
しかも、相手があんなヤツだったら…」
アキラと付き合い始める前、緒方と一緒にいる所を見た時の事を思い出した。
あんなふうに見せ付けられたら。和谷がオレと塔矢を見た時も、あんなふうに思ったんだろうか。
「オレだって無理矢理でもやっちまいたいって思った事、あるし、」
「…でも実際にヤるかどうかは別だよ。」
「…そうかもな。」
自嘲するように言う和谷に、ヒカルは小さく笑って応えた。
(14)
「そっか…和谷も、塔矢が好きだったのか。
知らなかったよ。てっきりキライなんだとばっかり思ってた。」
ヒカルはぽつんと独り言のように言った。
「最初に会ったときは、ヘンなヤツー、って思ったし、あいつ、友達とかいなさそうだし、和谷なんかも
すごい嫌ってるっぽくって、あいつって、嫌われ者?とか思ってたけど、そうじゃなかったんだな。
でも、当たり前だよな。嫌いになんかなれないよ、あんな奴。
緒方先生だって、あいつの事、すごく本気で真剣に好きみたいだった。
…なんかさ、ちょっと考えたら笑っちゃうよな。
緒方先生みたいな大人がさ、オレたちと同じくらいのトシの奴相手に真剣だなんて。
でもオレ、緒方先生が本気なの、すごいわかったし、当たり前だなって思う。
あいつは…塔矢は、塔矢がいつだって真剣だから、周りの奴も、ついつられて真剣になっちゃうんだよ。」
ヒカルは顔を上げて遠くを見ているような目で、続けた。
「オレもさ、塔矢が好きだ。すげえ好きだ。あいつ以外のヤツなんて考えられないくらい好きだ。
でも…でもさ、オレも和谷も、きっと変わんないよ。塔矢にとっては同じようなもんだよ、きっと。
あいつを好きな奴は一杯いて、オレはそん中の一人にすぎないんだよ…」
そんな事はない、と、和谷は強く思った。そんな筈はない。それは確信している。きっと、塔矢を本気に
させたのは進藤だけで、塔矢にとっても、進藤は誰よりも特別なはずだ。
けれど確信はあっても確証はなく、ヒカルを説得できるだけの言葉を、和谷は持たなかった。
だからできるのは気休めみたいな言葉を口にすることだけだった。
「そんな事…ねぇよ。おまえがそんな事言ったら、塔矢が可哀相じゃねぇか…」
だって塔矢はおまえのためだったらきっと簡単に人殺しだってできる。おまえのためだったら人を傷つけ
る事も怖がらない。それくらい、塔矢はおまえに本気なのに、おまえがそんな風に思ってるなんて、塔矢
が可哀相だ。
(15)
ヒカルはうなだれたまま、弱々しく首を振って、言った。
「もう、ダメなんだ。きっとあいつはオレを許さない。
あいつはオレを裏切ったけど、オレも同じようにあいつを裏切ったから。」
言っている意味がわからずに和谷は眉を顰めてヒカルを見たが、ヒカルは気付かずに続けた。
「そうされたらどんな気がするか、わかっててやったんだから、知らなかったあいつよりもオレの方
がたちが悪いよ。しかもオレは、オレの気持ちもわかれよ、って、あてつけみたいに…
オレはあいつの事、勝手だって責めたけど、勝手なのはオレも同じだ。
それに、もうやめにしようって、言ったのもオレの方だ。
なんで…なんであんな事、言っちゃったんだろう…もう会いたくないなんて、言っちゃったのは弾み
だったけど、もうダメだよ…取り消せないんだよ…バカだ、オレ…サイテーだよ…」
「サイテーなのはオレの方だよ。」
ヒカルの言葉を振り切るように和谷は言う。
「例えばさ、今日、おまえを誘ったのは……
おまえをやっちまったら、塔矢はどんな顔するかな、なんて思って、それでだったんだ。」
「……マジ?」
「ああ、マジだぜ。」
怯えたように後ずさろうとするヒカルに、和谷はくすっと笑いかけた。
「逃げんなよ、もう、そんな気、失せたから。それにこんなとこで何も出来るはずもないし…塔矢を
怒らせるために、塔矢の目をオレに向けるために、おまえをヤるなんて、おまえをキズつけようなん
て、そんな馬鹿馬鹿しい事、本気でするわけねぇだろ…」
そしてヒカルを見ていた目を床に落として、小さい声で和谷は言った。
「だって…そうでもしないとアイツはオレを見てもくれないんだよ。
アイツの目にはオレなんていないも同然なんだ。ずりぃよ、汚ねぇよ、塔矢。
だったらオレの前にあらわれるなよ。オレに笑いかけたりなんか、するなよ。オレにキスしたりなん
か、すんなよ。そうすればオレはあいつが好きだなんて気がつかなかったんだ。
オレは今まで通りにあいつを嫌っていられたんだ。」
(16)
「和谷…」
ヒカルは和谷が泣いてるのかと思って、なんだか自分が泣かせてしまったような気がして、気が
付いたら謝罪の言葉を口にしていた。
「和谷…ごめん…」
「何、謝ってんだよ。おまえが何を謝るんだよ。おまえに謝られると、なんか余計にムカツクよ。」
どうしてオレはこんな時にも、こんな八つ当たりみたいなことを言っちまうんだろう。
ごめん、進藤。謝るのはこっちの方だ。本当に、ごめん。
「でもさ、オレ…オレ、和谷が好きだよ。」
「うん……サンキュー。」
「また、遊びに行ってもいいかな?」
「うん、来てくれよ。」
「研究会はやってんのか?」
「最近は…やってなかったけど、また、やるよ。みんなに声かける。おまえも来てくれるか?」
「うん。行くよ。」
「じゃあな!和谷!」
「またな、進藤。」
笑って手を振って、それから和谷に背を向けて歩き出したヒカルを、和谷は立ち止まって見送っていた。
やっぱり、オレはおまえが好きだ。おまえを傷つけるなんて、できるわけなかったな。
ごめんよ、バカなこと考えて。
それに。
多分、としか言えないオレに、やっぱり勝ち目なんか無いんだ。
オレはあんなに真っ直ぐに「好きだ」なんて言えない。
オレは進藤が羨ましい。オレみたいに、ヒネたり、自分の気持ちに嘘をついて誤魔化したりしないで、
欲しいものをちゃんと欲しいって言える。自分の欲しいものが何なのかちゃんとわかってる。
きっとオレが進藤にかなわないのはそれだけじゃないだろうけど。
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