誘惑 第二部 31 - 35


(31)
頭がぐらぐらしそうだ。今、アキラは何ていった?オレの聞き間違いか?
「…おまえ……おまえって、そんな事いうヤツだったか…?」
「ヘンですか?」
「おまえ…先生達がいないからってそんな……
って事は、その、付き合ってたコとも…その………してたのか?」
「当たり前でしょう。」
「おまえ…いつの間に……」
「そんなに驚く事かなあ。普通じゃない?」
「普通って…」
おまえのどこが普通だよ?と思いながらも、芦原は脱力した声で言った。
確かに今時の中学生ならそれが普通なのかもしれないけれど、まさかアキラにそんな付き合いの
カノジョがいるなんて、思いもしなかった。
「いや、おまえにもフツーの今時の子らしい所があったんだな、ヘンなとこで…」
芦原のその様子に、アキラは肩をすくめてクスッと笑った。
まるで自分を鼓舞するように芦原はビールのジョッキをぐいっと呷り、アキラに続きを促す。
「で?」
「で、つい、やっちゃって、そうしたら何故だかその前に付き合ってた人の事を思い出しちゃって、」
「……で、もしかして、その前のカノジョとも、つい、やっちゃった、って言うのか…?」
「そう。」
アキラはあっさりと答えた。


(32)
ホントは彼女じゃなくて彼だし、どっちかって言うとやっちゃったよりやられちゃったの方が近いし、
その人はあなたもよく知ってる人ですよ、芦原さん――などという事は無論、口には出さずに。
だがそのアキラのあっさりさ加減に、芦原は思わずテーブルに突っ伏した。
「おまえ、幾つになったんだっけ…?」
「15。」
まだ15のガキのくせに。涼しい顔して、今の彼女とその友達と、更に前の彼女だって?大体、いつ
の間に前のカノジョと付き合って、別れて、今のカノジョなんだ?今までそんな事、おくびにも出さ
なかったくせに。なんてヤツだ。オレにも内緒で。
「…で、その事が今のカノジョにばれて、それで振られたのか?」
「いや、バレたのはバレたんだけど、それも半分はきっかけに過ぎなくって、」
「まだ、あるのかよ…?」
「今度はそのコが他のヤツとやっちゃって、…まあ、ボクがどうしょうもないのが悪いんだけど。」
全く、最近のガキと来たら、一体なんなんだ。乱れてるのにも程がある。
って、何だ?今のオレの台詞は。「今時の子供ときたら」なんて、オレ、もうオヤジなのかよ…?
芦原はもはや呆れ顔でアキラを見るしかできなかった。
「それで、ボクはどうしてもその事が許せなかったんだ。自分の事は棚に上げて。」
「そりゃ、おまえ、最低だ…。」
「最低ですよね。でも、ボクが最低なのはわかってるんだけど…」


(33)
「…でも、それでも、どうしても許せない。」
急に変わったアキラの声音に芦原はぎくりとして、すするようにジョッキに口をつけながら、アキラ
を横目で盗み見た。
「ボク以外の誰かが、あの身体に触れたなんて。ボク以外の誰かに、触らせたなんて。他の男を
受け入れたなんて。許せない。許せるはずがない。」
手に持ったグラスを握り締めながら、底光りするような眼でグラスの中身を睨むアキラに、芦原は
背筋が寒くなるのを感じた。
まだまだ子供だと思っていたアキラが、急に声も、目つきも、「男」になってしまったのを見せ付け
られて、感慨にふける前に、その変化に芦原はぞっとした。
「相手はボクの知らないヤツだけど、それでまだ良かったかもしれない。」
知ってるヤツだったら…ボクがどうなってたか、そいつに何をしていたかわからない。
今だって、思い出しただけで殺してやりたいと思ってしまうのに。
「お、おい…アキラ…、」
どもりながら彼の名を呼ぶ芦原に、アキラはふっと穏やかな表情に戻って、笑いかけた。
「やだなあ、芦原さん、なに怯えてるんですか?
誰も芦原さんを殺してやりたいなんて、思ってませんよ。」
だがその豹変ぶりが、芦原は恐ろしいと思った。
もしかしたら、オレはこいつの事を何一つ知らないのかもしれない。いつものように穏やかに笑っ
ていても、その裏で何を考えていて、オレの気付かない所では何をしてるんだか、わかったもん
じゃない。いつの間に、オレの知らない間に、アキラは変わってしまったんだ。
「で、許せないとか…もっと酷い言葉をぶつけて…お互い、ぶつけあって…それでもうイヤだって、
そんな自分勝手なボクにはついてけないって、もう会いたくないって……
そう言って振られたんですよ。」
アキラは芦原のジョッキに自分のグラスを軽い音を立ててぶつけた。
それで、芦原さんはどう思いますか?と問うようににっこりと笑いかけるアキラに、芦原はまるで
追従するようにへらへらと笑いを返すしかできなかった。我ながら情けない、と思いながら。


(34)
そんな自分を勇気付けるように、芦原はジョッキの中身を一気に飲み干しておかわりを注文する。
そして、疲れたように溜息をひとつ、ついた。
アキラの持つ激しさに、今更ながら驚かされる。
そうだ。コイツはそういうヤツだった。一見、穏やかに見えるけど、お育ちのいいお坊ちゃんに見える
けど、本当は火のように熱く激しい激情の持ち主で、しかも頑固で、自分を譲るということを知らない。
そんなアキラなら、本当に相手を殺しかねない。本当はそれ程に激しい性格の持ち主だという事を、
知っているつもりではいたが、改めてみたその激しさに思わず身が竦む。
こんな風に、アキラに火をつける人間がいたのか。
進藤ヒカル以外に、アキラをこんな風に変えてしまう人間がいたのか。しかも囲碁への情熱でなく。
アキラがこんなに恋愛にアツくなるなんて、思いもしなかった。一体どんな女性なのだろう。アキラの
中の、恋という名の情熱に火をつけたのは。
「一体、どんなヤツなんだ。おまえをそんなにさせるなんて。」
芦原はふとそんな言葉を漏らし、そしてそれがどこかで聞いたような言葉だと思って記憶を手繰った。
「…ああ、思い出した。緒方さんだ。」
唐突に出てきたその名前に、アキラは一瞬身を硬くする。
そしてその緊張を押し隠して尋ねる。
「緒方さんが…どうか、したんですか?」
「え?ああ、ちょっと前にもさ、こんな風に緒方さんと飲んだんだよ。
あの緒方さんが失恋したとか言ってさ、一体、緒方さんを振るようなひとって、どんなひとなんだろうっ
て、そん時も、思ったんだよ。」
アキラの声音の変化に、そしてアキラが軽く眉をひそませたのをみて、芦原が尋ねた。
「おまえ…なんか、知ってるのか?」
「……いいえ。」
ふうん、と言うようにアキラを見ながらも、それ以上は追求しなかった。


(35)
「しかし、緒方さんもおまえも失恋したなんて言ってるしさ、オレもずーっと彼女いないし、塔矢一門
は呪われてるのかなあ…?」
さあ?と、アキラは曖昧な笑みを返す。
「緒方さんも相手が誰なんだかは結局教えてくれなかったしなあ。なんで皆そんな秘密主義なんだ。
でもさ、なんか笑っちゃうよな、あの緒方さんが失恋なんてさ、女なんていくらでもいるとか、本気の
恋愛なんて鬱陶しい、なーんて言ってたくせに。」
「不謹慎ですよ、芦原さん。しかも失恋したてのボクの前で。」
「でも…あの時の緒方さんはツラそうだったなあ…。よっぽど、好きだったんだろうなあ…
やっぱ…本気で惚れてる時は…ツライ、なんてもんじゃないよなあ…」
芦原の言葉に、アキラは苦い笑みを浮かべながらグラスを揺らした。
申し訳ないと思う反面、どこかで嬉しいと思っているボクは本当にどうしようもない。
おまえはオレの事を全然わかっていない、あの人はそんなふうに言っていた。
アキラ、おまえは残酷だ、と。言われても言葉の意味まで考えていなかった。
結局ボクのした事はなんだったんだろう。あの人に甘えて、きっとまたあの人を傷つけて。
ごめんなさい、緒方さん。ううん、ごめんなさい、なんて言葉で済ませられるものじゃない。
ボクときたら、自分の気持ちばっかりで、緒方さんの痛みなんて、これっぽっちも考えていなかった。
そして進藤の痛みも。言われるまで考えた事なんてなかったんだ。自分がその立場に立たされるまで、
そうされたらどう思うかなんて、考えた事もなかったんだ。そのくせ、自分の事は棚に上げて相手を責
めるばっかりで。



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