誘惑 第二部 61 - 64


(61)
「ヒカルー!帰ってるんでしょう、お昼どうするのー!」
階下から声をかけられて、がばっと跳ね起きた。
今、オレは何をしていたんだ。
出かけてると思ったのに、いつの間に帰ってきたんだ。
慌ててティッシュで手を拭い、脱ぎ捨てたジーパンをはき、Tシャツを頭からかぶる。
階段を昇る音が聞こえ、続いてノックがする。
「ヒカル?」
ノックに応えて、ヒカルはそっと、ドアを開けた。
「ゴメン、ちょっと、調子悪くて…ご飯、要らない…」
「大丈夫?」
母親はヒカルの顔を覗き込んだ。
「風邪かしら?顔赤いし…熱あるんじゃないの、ヒカル。」
「大丈夫!大丈夫だから……だから、ちょっと、寝るから…」
そう言って心配する母親を締め出して、ベッドに横たわった。
そりゃあそうだろう。顔も赤いし、息も荒くて、当然だ。
気付いたかな。もしかして気付いたかもな。でもまさか、自分の息子が男にヤられるのを想像しながら
してたなんて、そこまで気付くわけ、ないよな。
塔矢を想像しながら抜くのなんてしょっちゅうだったけど――最近はやってなかったけど、やられるの
を想像しながら、しかも自分で自分の後ろを弄るのなんて、初めてだ。
自分が情けなくて、馬鹿馬鹿しくて、涙が出る。
けれど悔し涙を流しながらも、身体の熱は、疼きは収まらない。
「塔矢…」
彼の名を呼びながら、手はまた下半身へと降りていった。


(62)
こんな事をしている自分が情けない。悔しい。でも。
でも、欲しいんだ。
こんなんじゃ足りない。足りないんだ。
塔矢、おまえが欲しい。
もっと熱く、もっと激しく、もっと逞しいおまえがが欲しい。
オレを包む熱い肌が、オレを弄る熱い囁き声が、オレを貫く熱い塊が、欲しい。
オレを滅茶苦茶にして欲しい。
何も考えられないくらい、熱く、溶けさせて、何もかも忘れさせて欲しい。

けれど求めるものは得られる事は無く、求める人は既に遠く離れ、中途半端に煽られた熱は冷める
事はなく、またそれを冷ます術も、ヒカルは持たない。身体の奥の疼きは止まず、そのまま熾き火と
なって内から身を苛む。
「うっ…」
ヒカルの目尻に涙が滲み、抑えきれない嗚咽が漏れる。
塔矢。おまえはずるい。
オレをこんなにして。おまえ無しではいられないようにして。
それなのにオレに黙って行ってしまうなんて。
オレを一人にして。振り返りもしないで。
責めるようにぎゅっと自分の中心を握りこむ。
苦痛と快感が綯交ぜになってヒカルの身体を駆け上る。
「あぁああっ…塔矢っ…、塔矢ぁっ!!」
外に声が漏れないように枕に顔を押し当てながら彼の名を呼ぶ。
そして悔しさともどかしさに身を捩り涙を零しながらも、ヒカルは飽くことなく、自分で自分の身体を
責め苛んだ。


(63)
空港ロビーでの賑々しい喧騒を、アキラは他人事のように聞いていた。
妙に現実感を感じない。自分が何を言っているのかも良くわからないままに、問いかけに応え、愛想
のいい微笑を返す。そうしながらも、ふと気付くと、目はいるはずもない人物を探している。その事に
気付いて、アキラは気付かれないようにそっと溜息をついた。
そもそも、ボクが今日ここにいる事も、きっと彼は知らないんだろう。それなのに何を、それでもボク
は期待していたんだ?
自分じゃ何もできないくせに。逃げ回るしかできないくせに。

時折ボクを襲う、いっそ何もかもぶち壊してしまいたいという衝動は、それでもボク自身を壊すほど
には強くなく、ボクはボクの嫌いなボクを演じつづける。
かつてボクを照らしてくれていた太陽をボクは怖れ、そこから身を隠してボクはボクの闇の中に安住
する。誰かを非難する言葉はそのままボクを非難する言葉で、許せないと思う気持ちは、そのまま、
ボク自身をも許さない。
こんな状況を作ってしまったのは自分なんだろうに、どうやってこの檻から抜け出したらいいのかわ
からない。わからないまま、無責任に腹を立て、善意の周囲に苛立ちしか返せない。

無様に負けるつもりなんかない、と、大口を叩いたけど、本当にこんなんで勝てるんだろうか。
せめてこの宛先のわからない苛立ちと怒りを戦意にすり替えて、対局に向けて意識を高揚させるか。
それくらいならできるだろう。
それでもボクはやはり無様に負けるのかもしれない。
なぜなら、それならそれで構わない、なんて気持ちが根底にあることをボクは否定しきれないから。
いっそそうして負けてしまえばこの身に背負う様々な重荷を捨てる事ができはしないか、なんて下ら
ない事を考えてしまっているから。そんな事、何の意味も無い事なのに。


(64)
ようやく見送りの人たちから解放されて、アキラたちはゲートをくぐった。
出国の手続きを済ませて一行は機内へと向かう。
気を利かせてくれたのだろうか、アキラの席は窓際の席だった。
けれど隣に座った記者を見て、アキラは気付かれないように小さな溜息をついた。
こんな所でもボクは一人にはなれず、ボクを演じ続けなければならないのか。
シートベルトを閉め、飛行機の窓から外を見ると、やっぱり雨は降り続いていて、太陽の光なんて
見たのはいつだったろう、って思うくらいだ。
でもこのジメジメさ加減は今のボクの気分にぴったりかもね。
座ったまま窓の外を見るともなく見ていると、アナウンスが飛行機の離陸を告げる。
たった一週間の日程のはずなのに、もう戻ってくる事なんてあるんだろうか、なんて思ってしまう。
でも、どっちにしても、もう、以前みたいには戻れないんだ。
だって、帰ってきたって誰もいない。帰ってくる必要なんて、あるのかな。
とうとうキミに、さよならも言えなかった。
今、どこで、何してる?
ボクはもう行くけど、もし万一この飛行機が落ちたら、キミは少しは泣いてくれるかな?
何を、感傷的な、手前勝手な事を考えているんだ、ボクは。

そして飛行機は滑走路を走り出し、疾走感に続いて離陸のGが身体にかかり、アキラは背もたれ
に体重を預けたまま目を閉じる。

バイバイ、進藤。
大好きだったよ。ボクの太陽。



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