白と黒の宴 37
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「…怒っていますか。」
沈黙に耐えられずアキラは言葉を掛けた。
「怒ってなんかいないさ。」
そう言いながらも緒方はアキラの方を見ようとはしなかった。
髪を整え、眼鏡をかけ普段通りの隙を見せない二冠の棋士の姿になっていく。
「…好きにしろ。」
淡い色のスーツに身を固めると緒方はテーブルの上に部屋のスペアらしき鍵を置いて出ていった。
一人残されてアキラは急に寒気を感じ、毛布を身体に巻き付け、もう一度ソファーの上に横になった。
社の時と同様にやはり多少脱水症状を起こし、数回トイレに通った他はうつらうつらと
ソファーの上で寝て過ごした。
一度碁会所に電話を掛けて午後にあった指導碁を体調不良を理由に休ませてもらった。
今にも様子を見に自宅に来ると言い出しかねない市河をその必要はないと説得するのが一番骨が折れた。
どれ位時間が経ったか分からなかったが、誰かの手が額に触れる気配がして目を覚ました。
心配そうに覗き込む緒方の表情が間近にあった。
「何か食べたのか?」
アキラは首を振った。
「お水だけもらいました…」
「今は食べられるか?」
アキラは頷き、緒方の首に腕を回してしがみついた。緒方がこうして傍に居てくれる事が今は
嬉しかった。緒方もまた、そんなアキラを強く抱きしめ返して来た。
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