白と黒の宴 46 - 47
(46)
やがて緒方が現われ正面に腰を下ろした。僅かに風が動いていつもの煙草の残り香がした。
緒方と対峙し感情が削げた視線を向けられた時、ドクンとアキラの身体の奥が脈打った。
あの時と同じように無表情で征服しようとする無言の圧力がそこにあった。
その視線に応えるようにアキラも睨み返す。
「…盤上では好きにさせません。」
周囲に聞こえぬ様小さく呟いたアキラになお緒方の表情は変わらなかった。
緒方の強さはアキラも良く知っている。
その上自分がどのように囲碁に向き合い習得していったかをつぶさに見られている相手である。
交互に石を置きながら相手の出方を伺う。
緒方はなかなか仕掛けて来なかった。アキラの常勝パターンを分かっていてあえてそちらへ
導くような石の運びだった。
アキラは最初の間は一石置く度に緒方の目を見返した。そうする事で自分の中の戦意に
火を点けるつもりだった。
「クールなようでいて顔に出る」緒方の中に多少は自分を怖れる気配が見出せないかと望んだ。
弟弟子ではなく、一人の人間として、手強いライバルとして見つめる目が欲しかった。
あの夜、体内に熱を吐き出され終えてしばらくの間身体を繋げたまま強く抱きしめられた時、
「…いつかはこうなると思っていた。それが怖かった…。」
意識が遠のく中で緒方がそう呟いていたのを覚えている。それは自分と身体を交える行為
のみを指すのではなく、今日の碁において真正面にぶつかる事を含んでいたように聞こえた。
(47)
だが、アキラが期待した動揺も戦意も一向に緒方が表に出さないまま打ち掛けとなった。
まるでそこにアキラが存在していないように相手は一瞥する事もなく退室して行った。
さすがにアキラも少なからず動揺を覚えた。
「…」
その場でしばらく盤面に視線を下ろす。まずまずの出来だと思う。
これまでは緒方に彼の碁を打たせていない。自分がそれを押さえ切って来た。
無気味だった。
自分を知られている分自分も緒方を誰よりもよく知っているつもりだった。
他の人が知らない部分まで。
だが今の緒方はまるで今まで出会った事のない者との対局をしているような様子だった。
気持ちで怖れているつもりはないが冷たい汗が背中を伝わる。
理屈ではなく肉体が戦況に反応するのだ。
ふと、同じく今日この棋院会館の対局室で戦っているはずのヒカルの事が頭に浮かぶ。
一柳との一戦を見に来ていたように今日も手合いがなければ自分と緒方との様子を
覗きに来ていたはずだ。
ヒカルに会いたい。
そう思うそばからアキラは首を振って自分の希望を否定する。
自分はヒカルに道筋を与える者だ。こちらからヒカルを追ってはならない。ヒカルに追わせるのだ。
だからなんとしてもリーグ内に踏み留まりたい。今日の一戦は落とせない。
自分の実力を出し切れば「今の」緒方に勝てなくもないはずだ、とアキラは盤を見据えた。
|