白と黒の宴 58
(58)
「緒方十段…」
ぼそりと社はそう口の中で呟くと吸い寄せられるようにそちらに足を向けた。
「ああ、社君、驚いたで。あの緒方先生が突然来はって君は今日来るのかと…」
囲碁サロンのマスターが耳打ちをするようにそばに寄って伝えて来た。
社は一度足を止めた。
「オレが?」
周囲の常連客は既に半分色めき興奮状態になっている。
「さすがはうちの社先生や。東京からわざわざあの緒方プロが会いに来よるとは…」
「それとも社君、この前上京した時に何ぞ約束でもしてもろたんか」
「別に、何も…」
どこか浮き足立つ常連客とは違って社は何か不穏な空気を感じ取っていた。
背を向けたそのスーツの男の姿からこちらを威圧する様子が受け取れたのだ。
明らかに好意的なものではない。
何人かの古株の常連客はそれを嗅ぎ取って遠巻きに緒方を睨み付けている。
「…フン、清春に何の用か知らんがえらいスカした東京モンや…。」
それらの視線が集まる中で社は緒方の脇まで進んだ。が、気配は分かっているだろうに
緒方は振り向きもしない。
(なんや、こいつ…)
ムッとした社は、挨拶するのを止めて戻ろうとした。その時盤上の石の並びが目に入った。
それらを見てハッとなった。
東京の碁会所で塔矢アキラと打った、その終局面だった。
|