白と黒の宴 60 - 61
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戦意を向けるものとそれを受けて立つ者達が見合った瞬間から勝負は始まるのである。
昨日の本因坊の棋譜を今朝の新聞で見て、社は改めて塔矢アキラの強さを再認識した。
記事の内容は『同門対決』に寄ってしまっているが、中盤戦までの石の運びはとても同じ
年には思えない見事なものだった。
結果的にアキラは負けてしまったが戦術的には理想に近いものであったと思う。
だがそれをこの緒方は切り崩した。反撃のタイミングや駆け引きの巧妙さは経験と
持って生まれたセンスだろう。
若手棋士と同様に停滞する事無く飛躍的に成長を今だ続ける緒方は間違いなく社の世代にとっての
大きな「壁」となりつうある存在だった。
師匠の吉川八段は口癖のように『塔矢アキラは怪物だ』と言う。
その怪物を育てたのが塔矢元名人とこの緒方十段・碁聖という二人の怪物であるならば
社にとって不幸だったのは周囲に怪物がいなかった事だ。
一方で社が不満に思った事がある。
自分とのあの一件から僅かしか時間が経っていないにもかかわらずあれだけの碁を
アキラが打ったという事だった。
自分に抱かれた事がそれ程アキラにとって大した出来事ではなかったのだろうか。
単純に塔矢アキラの精神力の強さと思うべきか、それとも―。
(いや、とりあえず今は利用できるもんは利用させてもろオとこ)
なんにしても、北斗杯の選抜戦を控えてその緒方と一戦交える事が出来るのは社にとって
願ってもないことなのだ。
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社は改めて興味深く緒方を見返した。そして息を飲んだ。
感情の読めない無機質な、だが鋭い光りを宿した緒方の瞳があり、その瞳を通じて自分を
静かに睨み据えるアキラの視線を感じたのだ。
(…塔矢アキラに試されとるワケか…)
社もまた、緒方を睨み返した。
黒は社が持った。だが、慎重を期して考えに考え、右上スミ小目に置く。
普段の社を知る者達からどよめく声が漏れた。
比較的短期間で成長した社はあまり長考せず感覚で走るタイプだった。定石に捕われず
思いきった手を打つ。だが当然その下には複雑な読みと計算が含まれている。
胸を借りるというのではなく本気で勝ちに行くつもりなのだろう、と誰もが思った。
それに対する緒方の応手は意外なものとなった。
ノゾキにしてもヒラキにしても社を上回る先手で仕掛けられて来た。
常連客らはそれを見て、「まるで清春の次の手を予測しとるようや」「いや、っていうよりか
まるで清春の打ち方や…」「けしからん。大人が子供のマネをするとは…」と驚きを口々に
していたが、それ以上に社は動揺していた。
初段の社の棋譜などさほど記録としては残っていないはずである。
(…まさか)
動揺を隠し、社は出来るだけ冷静に対局を進めようとする。
(…塔矢アキラとのあの一局を見ただけでオレの打ち筋を見切ったいうんか?)
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