裏失楽園 36 - 40


(36)
「どうしてここに…」
 緒方さんの形の良い眉が、つと顰められる。色素の薄い彼の瞳に、ここへ来たことを咎められ
ているような気がして、ボクは俯いた。
 週に一度は専門の業者が入り、ピカピカに磨き上げられたの焦茶色のフローリング。いくつもの
ライトに照らされて、床に落ちたボクと彼の影が鮮やかに揺れている。
「来てはいけませんでしたか?」
「そんなことはないが……驚いただけだよ」
 緒方さんは微笑みを浮かべ、ボクの肩を抱き寝室の中に促す。それはボクをベッドへ誘うときの
仕草に似ていて、一瞬錯覚しそうになる。
 少しずつ広がる視界に入ってくるのは、部屋の半分以上を占める大きなベッドと、見慣れない不思
議な色のベッドカバーだった。彼のネクタイが無造作に放り投げてある。
 ――あのベッドは、ボクの知らないベッドだ。その上に、他の誰かが――、進藤が横たわったかも
しれない。
 緒方さんの神経質な細い指が、進藤の小麦色の肌の上を這ったかもしれない。
 そのどちらもを知っているからか、ビジョンが素早く脳裏に浮かぶ。全身が粟立ち、ボクは彼の手を
避けるように離れた。
「進藤が…来ていますよね」
 床に視線を投げたまま問い掛けると、しばらくしてそのことを肯定する低い応えがあった。
「どうして………?」


(37)
「それは」
 緒方さんはすぐそばのボードに置かれた赤いボックスから、煙草を1本取り出した。
「ねぇねぇ緒方先生、見てくれよこれ〜!」
 小走りの足音とともに能天気な第三者の声が近付いてきて、ボクと緒方さんは同時に息を呑む。――進藤だ。
 ひょこっと顔を覗かせた進藤は、ボクがここにいることにひどく驚いた様子だったが、ボクは何よりも
彼の格好に目を奪われた。
 彼の華奢な体格に合わない大きめのバスローブは、緒方さんのものだ。濡れた髪から雫がポタポタと落ち、
彼がたった今までシャワーを浴びていたことは明らかだった。
 ボクが唖然として進藤を見ていると、進藤は雑に羽織っただけというようなローブの襟を直し、大きく
はだけていた胸元の面積を少なくしようと試みている。
「緒方さん。………これはどういうことですか」
 絞り出す声と身体全体が震えるのを、ボクは抑えることができなかった。
 進藤の身体に視線が行こうとするのを引き離して、すぐ近くに立っている緒方さんを睨み付ける。
 煙草を咥え、ボクがプレゼントしたライターで火を点けようとしていた緒方さんの動きがふと止まり、
すぅっと目を細めるとゆっくりとボクを睥睨した。
「どういうことですか、とはどういうことだ?」


(38)
 緒方さんにこんな風に睨まれたことなんか、なかった。ボクはいつでも彼の庇護の下にあり――、
そしてそれを悔しいと思いながらも当たり前のように受け止めていた。
「進藤をこんなところに連れてきて――、何をするつもりだったんですか」
 声がわずかに震える。絶対的な存在に対峙できたことに対する武者震いなのか、それとも彼を怒らす
ことができたということに対して興奮しているのかそれは判らないが、握り締めた拳が震えた。
「おい塔矢」
 進藤が首を傾げてボクに手を伸ばし、その拍子に肩口からずり落ちそうになったバスローブを引き
上げる。何もあれほどサイズの合わないものを着せなくても、ボクのものだってここにはあるのに。
そう考えて可笑しくなった。ボクがここに来ないうちに――緒方さんはもうどこかに仕舞ってしまった
のかもしれなかった。ものに執着のない彼だから、既に棄てていたとしてもおかしくない。
「何を、ね」
 緒方さんはフッと口許を歪めた。結局火を点けなかった煙草をベッドの上に放る。そのまま一歩
踏み出し、ボクの隣に立っている進藤の手首を掴んだ。そのままなぎ倒すように彼は進藤をベッドの
上に突き飛ばす。
「うわっ、緒方先生!」
 さすがに身の危険を感じてか、すかさず起き上がろうとする進藤をベッドの上に容易く押さえつけ、
緒方さんは今まで見たこともないような厳しい表情でボクを見下ろしていた。


(39)
「……キミは下世話なことに、オレが進藤とセックスすると想像してオレのマンションまで乗り込ん
で来たわけか。オレが鍵を渡しても一度も自分から足を運ぼうとしなかった、ここまで」
 キミもやっぱり人の子なんだな。俗っぽいことをする――と緒方さんは早口に吐き捨て、押さえつけて
いた進藤が身に付けていたバスローブの胸元を何の躊躇いも無く両手で開いた。
「緒方さん!」
「センセっ、何すんだよっ」
 ボクと進藤はほぼ同時に叫ぶ。進藤は手足をバタつかせ、ボクは近寄りたくもなかったベッドの側に
駆け寄った。緒方さんが進藤を暴こうとする動きを阻むために手を伸ばしたが、緒方さんの背中越しに
覗く進藤の肌があまりに健康的な色をしていたことに気づき――、思わず顔を背ける。
 ベッドから引き離した視界の隅に、緒方さんが外した眼鏡をサイドボードに几帳面に置くのが映った。
「アキラくん、キミはそこで見ているんだ」
 こういうときまで何の感情も窺い知れない声が、ボクに毅然と命じる。緒方さんはボクにとって絶対の
存在だ。口調こそは穏やかだが、決してボクは逆らえない。それでも、ボクは視線をベッドの上に戻す
ことはできなかった。否、彼を止めようと思っているのに、身体が言うことを聞かないのだ。
「最後までだ。――いいね?」
 背筋を冷たい汗が伝う。……緒方さんは、本気だ。


(40)
 緒方さんはボクを見据えたままだった。顔を背けていても、その強い視線がボクの身体を突き刺
していることははっきりと判った。
「………う」
 ボクのすぐそばで、うめく進藤の声がする。
「アキラくん、見るんだ」
 後ろずさりするボクを気配で感じたのか、緒方さんは鋭い声で再度ボクにそう命じた。
「あぅっ」
 すかさず小さな進藤の悲鳴が聞こえ、ボクはそろそろと視線をベッドの上に戻した。
 広すぎるベッドの上で、進藤が拘束された腕を振り払うように上半身をくねらせている。
 ――その動きがどれだけ相手を煽るのか、全く気づいてはいないのだろう。
 ベルトで辛うじて彼の身体に留まっているバスローブは、進藤と緒方さん双方の動きでほとんど
身に付けていないも同然だった。
 四つんばいになっている緒方さんの片足は進藤の両足の間に捻じり込まれ、そこがゆるゆると
動いている。緒方さんが膝を使って進藤に愛撫を施すのが、いやにはっきりと見えた。
「ん…っ、ヤメ――」 
 進藤が嫌がって、何度も首を振る。
 立ち尽くすボクを独り残して、緒方さんは進藤の胸に手を伸ばし――組み敷いている進藤の膚を
確かめるように撫でた。
 ボクの中に、ドロドロとした何かが溜まっていく。床に足をつけて立っているという当たり前の
感覚は全くなくなっていた。



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