裏失楽園 81 - 85


(81)
『感じてるね、アキラくん。こんなにもオレを締め付けて』
 笑いを含んだ小さな声で緒方さんはボクに耳打ちする。
『キミと一緒に達ってあげるから、その時が来たら教えなさい』
 ボクはガクガクと頷きながら、その瞬間を待った。
 だが、いくら待っても、いくら進藤の顔を近づけようとしても、その時はやって来ない。
「しんど……」
 焦れて進藤の名を呼ぼうとしたボクは、途中で異変に気づき言葉を継げなくなった。
 剥き出しのボクに鼻先が触れるほど近づいた進藤は、頭を掴んでいるボクの両手を振り
払うようにかぶりを振ると、閉じた瞼をカッと見開く。その瞳は驚くほど澄んでいて、
ボクはそこから目を離せなくなった。そして進藤はまっすぐボクを見つめ――
「オレが望んだのはこんなんじゃない」
 思ってもみない進藤の言葉に、次第に身体が震え出すのが判る。
「オレはただ、塔矢と碁を打ちたいだけなんだ」
 進藤はボクと緒方さんを交互に見ながら、驚くほど落ち着いた声で繰り返した。


(82)
『オレはただ、塔矢と碁を打ちたいだけなんだ』

 どろどろに濁った頭で、進藤の告げたその言葉をボクは何度も復唱する。
「あ……」
 進藤が今も褪せることなく持っている囲碁への純粋な気持ち。ボクに――唯一無二の
ライバルに対する高潔な気持ち。
 “何もなくても構わない。囲碁ができさえすえればいい”
 そういう気持ちを確かにボクも持っていた。今でもその気持ちは変わっていないと信
じている。たくさんある選択肢の中から、何か一つだけを選ばなければならないとした
ら、それは緒方さんでも進藤でも、もちろん家族でもなく、「碁」だ。
 だが、凛とした表情の進藤を前に、ボクは項垂れるしかなかった。
 ボクがボクであるために大事な何か。それをボクはいつの間にか失っていた……?
「ボク…は……………」 
 こめかみが締め付けられるように痛む。身体のあちらこちらで心臓が血を吐き出す鼓
動を意識した。
 唇が、指が震える。歯がカタカタと不愉快な音を立て始めると、カタカタという音は
やがてボクの全身を支配した。
「ボクは……!」
 血が吹き出してしまいそうにズキズキと脈を刻むこめかみを両手で押さえ、それから
ボクはどうすべきか混乱した。進藤に置いていかれてしまうかもしれないボクは。


(83)
 あの日、進藤を抱いたのはボクだ。緒方さんと進藤の2人が欲しかったのもボクだ。
 2人とも欲しくて、でもどちらも選べなくて、その結果がコレだ。
 ボクはすでに性に奔放で、進藤のように純粋にはなれない。だから進藤をボクの位置
にまで貶めてやりたかった。かつて緒方さんがボクにそうしたように。
 しかし、進藤はボクとは根本的なところが違っていたのだ。
 散漫になる思考の中、ボクはぐるぐると同じ言葉を繰り返す。呪文のように。
 どうすればいい? どうすればボクは――――
「進藤、オマエはあ――行ってろ!」
 ボクの身体を後ろから抱きかかえたままの緒方さんが、ボクが聞いたこともないよう
な低い声で怒鳴る。その声は一瞬歯の噛み合う音を駆逐したが、またすぐに効果を無く
した。
 どうすればボクは進藤と同じところで輝けるのだろう。
「とう――」
「出てい……と言ってるのが判らな――か!」
 二人のやり取りはボクの中で大きくなったり、小さくなったりして聞こえる。
「しばら――ってくるな」
 進藤はぎこちなく頷くと、ボクを心配そうな顔で見ながらドアを開け、ドアの向こう
に消えた。静寂の中、ボクの歯が鳴る音だけが聞こえる。
「アキラくん」
 ボクの名を囁くと、緒方さんがボクの身体を持ち上げた。打ち込んだ杭を軸にしてボ
クの身体をゆっくりと向かい合わせると、互いの胸を重ねて抱きしめてくる。


(84)
 抱きしめられてベッドの上に倒されると、ボクの中の緒方さんがまた角度を変えた。
「――い?」
 歯が不愉快な音を立てているのは、ボクが寒いからだと思ったのだろう。彼は眉を顰
めながら両手でボクの肩や腕をひとしきり撫でた。
 眉を顰めている他はまるで無表情なのに、ボクを撫で摩る手のひらと、ボクをじわじ
わと侵している緒方さんの砲身は熱く、その熱を感じているうちに混乱が少しずつ治まっ
て来る気がした。
 しかし、酷い頭痛と耳鳴りはまだ治まらず、ボクは緩慢に首を振ることしかできない。
 緒方さんはボクの髪を梳きながら片肘を突いた。
 無表情な顔が近づいてきて、目の焦点が合わなくなる。
 口を温かなものに塞がれた息苦しさと、口腔内を暴れまわる柔らかく固いものの存在
に、ボクは彼のキスを受けていることにようやく合点した。しかし、彼の舌の動きにい
つものように合わせることはどうしてもできないでいる。
 緒方さんはそれでも構わないようだったが、ただ、より深い咬合を求められた。
 上顎の奥を舌で刺激されると、神経に直接触られたようで無意識に身体が反応する。
 手と脚が触れ合い、内部でも深く繋がっているから、ボクの震えが緒方さんにも伝わ
るのは当然のことで、ボクが身体をブルリと震わせたのを契機に、剥き出しのボクは緒
方さんの手に握り込まれた。
「……くっ、ん……!」
 進藤の愛撫を待ちかねて震え、結局触ってもらえずにいたボクは既に爆ぜる寸前だった。


(85)
 そんなボクを緒方さんはいとも容易く頂点へと導いていく。乱暴に擦りあげながら、
爪先は電流のような鋭い感覚をボクに与え、ボクはそれに翻弄されるしかなかった。
 頭の中では蜂の羽音に似た不快な音がずっと響いている。
 どこかへ行ってしまった進藤のことや、これからのことを考えれば考えるほどその不
快な羽音は大きくなり、ボクはそのことを思い出さないようにと、緒方さんの手の動き
を追い求めた。
「進藤は……」
 ボクをコントロールしながら動き出した彼の腰が次第に激しくうねるようなそれに変
わった。ボクは体内に穿たれた杭が抜け落ちてしまわないよう、夢中で背中を丸めて
両脚を緒方さんの逞しい身体に絡める。
 ボクが初めて横たわったベッドは彼の動きに連動して軋む音を発て、ボクの決して柔
らかくはない身体もギシギシと軋むようだった。
「…っ、ん……っ」
 雑音に紛れてシンドウという言葉を聞いても、それはただの知らない単語だ。
「アイツには荷が勝ちすぎる。キミを幸せには――」
 緒方さんの手の動きが早くなると、剥き出しの神経を直接障られるようなピリピリし
た感覚が絶え間無く身体を突き抜ける。
「く………っ」
 ボクは彼の手の上から両手で包んで、溢れ出てくる熱い迸りを手の甲で感じた。



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