裏失楽園 81 - 82
(81)
『感じてるね、アキラくん。こんなにもオレを締め付けて』
笑いを含んだ小さな声で緒方さんはボクに耳打ちする。
『キミと一緒に達ってあげるから、その時が来たら教えなさい』
ボクはガクガクと頷きながら、その瞬間を待った。
だが、いくら待っても、いくら進藤の顔を近づけようとしても、その時はやって来ない。
「しんど……」
焦れて進藤の名を呼ぼうとしたボクは、途中で異変に気づき言葉を継げなくなった。
剥き出しのボクに鼻先が触れるほど近づいた進藤は、頭を掴んでいるボクの両手を振り
払うようにかぶりを振ると、閉じた瞼をカッと見開く。その瞳は驚くほど澄んでいて、
ボクはそこから目を離せなくなった。そして進藤はまっすぐボクを見つめ――
「オレが望んだのはこんなんじゃない」
思ってもみない進藤の言葉に、次第に身体が震え出すのが判る。
「オレはただ、塔矢と碁を打ちたいだけなんだ」
進藤はボクと緒方さんを交互に見ながら、驚くほど落ち着いた声で繰り返した。
(82)
『オレはただ、塔矢と碁を打ちたいだけなんだ』
どろどろに濁った頭で、進藤の告げたその言葉をボクは何度も復唱する。
「あ……」
進藤が今も褪せることなく持っている囲碁への純粋な気持ち。ボクに――唯一無二の
ライバルに対する高潔な気持ち。
“何もなくても構わない。囲碁ができさえすえればいい”
そういう気持ちを確かにボクも持っていた。今でもその気持ちは変わっていないと信
じている。たくさんある選択肢の中から、何か一つだけを選ばなければならないとした
ら、それは緒方さんでも進藤でも、もちろん家族でもなく、「碁」だ。
だが、凛とした表情の進藤を前に、ボクは項垂れるしかなかった。
ボクがボクであるために大事な何か。それをボクはいつの間にか失っていた……?
「ボク…は……………」
こめかみが締め付けられるように痛む。身体のあちらこちらで心臓が血を吐き出す鼓
動を意識した。
唇が、指が震える。歯がカタカタと不愉快な音を立て始めると、カタカタという音は
やがてボクの全身を支配した。
「ボクは……!」
血が吹き出してしまいそうにズキズキと脈を刻むこめかみを両手で押さえ、それから
ボクはどうすべきか混乱した。進藤に置いていかれてしまうかもしれないボクは。
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