裏失楽園 89 - 90
(89)
じわりじわりと溢れ出ては流れる熱い液体をティッシュの上に零し、ボクはそれらを
尻に挟んで立ち上がる。緒方さんはボクの様子を見るなり口元をさりげなく手で覆った。
「なにもそんなものを挟まなくても…。シーツだけじゃない、床も好きなだけ汚していいぜ」
どうせハウスキーパーが入るんだから構わない。緒方さんはそんな意味のことを続け
たが、第三者に行為の痕を清めさせるなんて冗談じゃなかった。
「アナタは良くても、ボクは良くない」
目を細めて笑う緒方さんを無視し、ボクはほとんど着ていないも同然だったワイシャツの
ボタンを下から嵌めなおす。まだ下肢は汚れていて下着をつける気は起きず、そのままで
シャワーを浴びに行きたかった。
「進藤は…まだいると思いますか?」
「いるだろうな」
何でもないようなクールな表情で緒方さんは肩を竦める。ボクはドアノブにかけていた
手を下ろした。
極限の状態でボクの誘いを断った穢れなき進藤。進藤の毅然とした態度に打ちのめされ
ながらも緒方さんとの情事に耽ってしまったボク。
緒方さんと今まで抱き合っていたことが明らかな匂いたつ身体を抱えたまま、彼と鉢合
わせすることは流石に躊躇われた。
「どうした?」
「いえ…」
緒方さんに抱かれて落ち着いた今でも、進藤に対するボクの気持ちは複雑で、あの凛と
した進藤の瞳の強さを思い出しただけでもボクの心臓は鋭い痛みを感じる。
どれだけ言葉を、身体を重ねても、緒方さんにこの気持ちが解ることはないのだろう。
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ドアの前に立ち、外界とこの部屋を隔てるそれを開けるか否かを逡巡していると、緒方
さんはクローゼットへの扉を開け、ボクがかつてこの部屋でよく使っていたバスローブを
手にして戻ってきた。
この部屋を訪れなくなってもう大分経つが、それが処分されていなかったことに、ボク
はただ安堵する。
広げた薄いブルーのそれを優しく肩にかけられる。ひどく肌触りの良いそれが、この閉
ざされた部屋の中で繰り広げられたボクと緒方さんの時間の全てと、ボクが小さなときか
ら使っているタオルケットの感触をふと思い出させた。それらが連れてくるあらゆる懐か
しさにボクは訳もなく泣きたくなったが、それを堪えて頬をこすりつける。
「これ…捨ててなかったんですね」
「捨てる理由がないだろう」
――口元を僅かに歪めて、緒方さんは吐き捨てるような乱暴な口調でつぶやく。
「自分で始末できなかったら我慢せずに呼びなさい」
一度ボクの肩を力を込めて掴んだ緒方さんは、不意にボクの肩を突き放すようにして離
れた。スティールのドアノブを押し下げてドアを開きながら、目顔でボクに立ち上がるよ
う、指示を与える。
「緒方さんは?」
「オレか? オレは――」
眼鏡のレンズ越しに対峙していた緒方さんの視線が僅かにボクから逸れた。ボクから顔
を逸らせた緒方さんは、完璧な横顔を俯かせてその表情を隠す。
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